
「DEAD OR ALIVE」や「NINJA GAIDEN」シリーズの生みの親、ゲームクリエイター板垣伴信氏(58)の逝去。突然の訃報は、世界中のファンと開発者に深い衝撃と悲しみをもたらしました。Team NINJAを設立し、3Dアクション・格闘ゲーム史に大きな足跡を残した氏の功績と、波乱に満ちたキャリアを振り返ります。
カリスマゲームクリエイター板垣伴信氏、58歳で逝く
「DEAD OR ALIVE」や3Dアクション「NINJA GAIDEN」シリーズの生みの親であり、テクモ(現・コーエーテクモゲームス)の開発チーム「Team NINJA」初代リーダーを務めたゲームクリエイター、板垣伴信氏(58)の逝去が2025年10月16日に明らかになりました。
この悲しい知らせは、氏が生前に近しい人物に託し、公式Facebookページに投稿された「遺す言葉」と題されたメッセージによって公表されました。
板垣伴信氏の最後のメッセージ
遺す言葉
私の命の灯は、いよいよ尽きようとしている。
この文章が投稿されたということは、遂にその時が来たということだ。私はもうこの世にはいない。
(この最後の投稿は、大切な人に託しています。)私の人生は、戦いの連続だった。勝ち続けた。
たくさん迷惑もかけてしまった。
自分の信念に従い、戦い抜いたと自負している。
悔いは無い。ただ、ファンのみんなには、新作を届けることができなくて申し訳ない気持ちでいっぱいだ、ごめん。
そういうものだ。
So it goes.板垣 伴信
ゲーム史を築いた功績
板垣氏は1967年4月1日生まれ。1992年にテクモへ入社し、ファミコン版「キャプテン翼」などの制作に携わりました。その後、1996年にアーケードで稼働を開始した3D対戦型格闘ゲーム「DEAD OR ALIVE」を手掛けます。セガのモデル2基板をライセンス使用した本作は、美しいグラフィックと独自の「ホールド」システムで注目を集め、人気シリーズの礎を築きました。
この開発にあたり、板垣氏は社内チーム「Team NINJA」を立ち上げ、統括部長としてチームを率いました。シリーズ4作目までディレクターやプロデューサーを務め、作品をテクモの主力タイトルへと成長させます。
もう一つの大きな功績は、テクモの名作アクション「忍者龍剣伝」を、3Dアクション「NINJA GAIDEN」として現代に蘇らせたことです。2004年にXbox専用ソフトとして発売された本作は、PlayStation 2全盛期の中で、ハード性能を活かした高速かつスタイリッシュなアクションと、高難易度ながらも中毒性の高いゲームデザインで世界中のプレイヤーを魅了し、アクションゲームの新たな指標を打ち立てました。
波乱に満ちたキャリアと不屈の信念
テクモ退社と法廷闘争(2008年)
板垣氏のキャリアは順風満帆ではありませんでした。2008年5月、氏はテクモと当時の社長に対し、未払いの成功報酬および慰謝料合わせて1億4,800万円を請求する訴訟を起こし、7月1日付での退社を表明しました。一方、テクモは6月18日に板垣氏を解雇したと主張し、氏はこれを不当解雇として賠償請求額を1億6,400万円に引き上げました。この訴訟は2010年2月、コーエーテクモホールディングスとの和解によって決着しました。
ヴァルハラゲームスタジオ設立(2010年)
退社後、板垣氏を追ってTeam NINJAの主要メンバー数十名もテクモを退職し、2010年3月にテクモ元幹部の兼松聡氏と共に「ヴァルハラゲームスタジオ」を設立。板垣氏は代表取締役兼CTOに就任しました。
「デビルズサード」開発の苦難(2010-2015年)
ヴァルハラゲームスタジオでは、アクションゲーム「デビルズサード」の開発に着手しましたが、この作品は数々の困難に見舞われました。当初はマイクロソフトからXbox 360の独占タイトルとして発売予定でしたが提携は実現せず、その後THQがマルチプラットフォームタイトルとして発売予定となるも、2013年にTHQが経営破綻。さらに次のパートナーとなった韓国のDoobicも倒産し、作品は数年間にわたり「開発地獄」に陥りました。
最終的に、ヴァルハラゲームスタジオのCEO兼松氏が当時の任天堂社長・岩田聡氏にアプローチし、任天堂が発売を引き受けることとなりました。2015年8月に「デビルズサード」は日本でAmazon限定販売として発売されましたが、海外では厳しい評価を受け、商業的成功には至りませんでした。
新たな挑戦と最後の日々(2017-2025年)
2017年8月、板垣氏は一身上の都合によりヴァルハラゲームスタジオを退職。その後は若手ゲーム開発者の育成に力を注ぎ、2020年にはソレイユが開発した「サムライジャック: Battle Through Time」の制作に顧問として関わりました。
2021年1月、板垣氏は新たに「板垣ゲームズ合同会社」を設立し、PS5/Xbox Series X|S/PC向けの新作開発を表明。しかし、2024年10月7日に同社は解散し、業務は「株式会社板垣ゲームズ」に集約されました。結果的に、新作がファンの元に届けられることはありませんでした。
業界からの追悼の声
板垣氏の訃報を受け、業界関係者からは深い哀悼の意が寄せられました。
BitSummit共同創設者 James Mielke氏は、SNSで「私にとって兄弟のような存在だった人を失った」と深い悲しみを表明。報道によると、二人が共同で執筆中だった回顧録を出版に向けて全力を尽くす意向を示しており、板垣氏が深刻な病気により最後の数日間で容態が急速に悪化したものの、約1週間前の病院での面会時は1ヶ月後の退院を楽観視していたと振り返りました。
「鉄拳」シリーズの原田勝弘氏は、かつて業界での対立関係を乗り越えて「戦友」と呼び合う間柄となった板垣氏の早すぎる死を悼み、自身のX(旧Twitter)に「58歳で逝くのは早すぎる。あんた、いつか俺を倒すって言ってたじゃないか」と投稿。「困ったときは俺のところに来いって言ってくれたのに、相談する機会すらなかった」と深い喪失感を示しました。
Team NINJA公式アカウント「板垣さんのクリエイティブの意志を引き継ぎこれからも多くのゲーマーの皆様にタイトルをお届けします。心よりご冥福をお祈りいたします。」と、初代リーダーへの敬意と追悼の意を表明しました。
受け継がれる遺産
板垣氏の訃報は、氏が創始した「NINJA GAIDEN」シリーズの最新作「NINJA GAIDEN 4」の発売を数日後に控えた時期に報じられました。2025年10月21日にリリース予定の本作は、Team NINJAとプラチナゲームズの共同開発により、13年ぶりのナンバリング新作として注目を集めています。氏は本作の開発には直接関与していませんでしたが、シリーズの生みの親として、その遺産は新作にも深く受け継がれています。
板垣伴信氏がゲーム業界に残した功績は計り知れません。トレードマークのサングラスと革ジャン姿、そして決して妥協しない開発姿勢で業界に大きなインパクトを与え続けた氏の革新的なゲームデザインと不屈の精神は、今後も多くのクリエイターに影響を与え続けるでしょう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

情報元:板垣伴信氏公式Facebook