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「セガハードの父」 佐藤秀樹氏逝去 ─ メガドラからドリキャスまで開発を指揮

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「セガハードの父」こと元社長・佐藤秀樹氏が75歳で逝去。SG-1000からドリームキャストまで歴代ハード開発を指揮し、セガの黄金期を築いた。一方で社長としてはハード事業撤退を決断し、会社をソフトメーカーへと転換させた功労者でもある。その波乱の生涯と、現代のゲーム業界に残した多大な功績を振り返る。

セガの家庭用ゲーム機事業の礎を築き、「セガハードの父」として知られる元代表取締役社長の佐藤秀樹(さとう・ひでき)氏が、2026年2月13日に逝去しました。75歳でした。

この訃報は、セガの歴史を深く知るメディア「Beep21」が2月14日に報じ、その後セガ公式からも追悼の意が表明されました。佐藤氏はアーケードゲーム機の開発からキャリアをスタート。SG-1000、SC-3000、メガドライブ、セガサターン、そしてドリームキャストに至るまで、同社の主要な家庭用ゲーム機開発を中心人物として牽引してきました。

しかし、業界関係者が氏の歩みを語る上で欠かせないのは、彼が稀代の「ハードウェアの創造主」であったと同時に、心血を注いだ事業に自ら幕を引き、セガをソフトウェアメーカー(サードパーティ)へと転換させた「構造改革の断行者」でもあったという事実です。

メガドライブ誕生と16BITの衝撃

1971年にセガ(当時セガ・エンタープライゼス)に入社した佐藤氏は、当初アーケードゲーム機の開発に従事していました。1980年代に同社が家庭用市場へ本格参入する際、氏は「アーケードの興奮をそのまま家庭に持ち込む」という、極めて明確な設計思想を掲げました。

1988年に発売された「MEGA DRIVE(メガドライブ)」は、その哲学の結晶と言えます。任天堂のファミリーコンピュータが市場を席巻する中、佐藤氏率いる開発チームは、当時のアーケード基板の主流であった16ビットCPU(MC68000)を家庭用機に搭載するという大胆な戦略を採りました。68000チップの価格低下という好機を逃さず、圧倒的なスペック差で市場に挑んだのです。

佐藤氏はかつてのインタビューで、メガドライブのデザインについてこう振り返っています。

「消費者がいずれ、音楽を楽しむような感覚でビデオゲームを楽しむようになると感じていた。メガドライブはテレビの前に置く機械だから、オーディオプレーヤーのように見せるというコンセプトで作った。だからボディを黒く塗り、『16BIT』の文字を金色の印刷にした。あの金色の印刷は、非常に高価だったけどね(笑)。でも、これが世界初の16ビット家庭用機だということを強調したかった」

玩具ではなく「ハイテク機器」としてのブランディング。黒いボディに刻まれた金色の文字は、当時の技術的優位性の象徴でした。これは北米市場における「Genesis does what Nintendon’t(任天堂にできないことをジェネシスがやる)」という伝説的なマーケティングの裏付けとなり、最終的に世界累計3,000万台以上の出荷を記録。セガのブランドを世界規模へと押し上げました。

打倒PSへの執念:サターンのデュアルCPU

佐藤氏のエンジニアとしての矜持と、競合との激しい技術競争を象徴するのが、1994年発売の「セガサターン」です。

当初、サターンはCPUを1基とする設計で進められていました。しかし、ライバルであるソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)の「プレイステーション」が予想を遥かに上回る3D描画性能を備えていることが判明。対抗するには、設計を抜本的に見直す必要がありました。

もはや一から設計し直す時間は残されていません。そこで佐藤氏が下した決断は、既存のCPU(日立製SH-2)を2基搭載する「デュアルCPU構成」への転換という、異例の解決策でした。

この複雑な構造はソフト開発の難易度を極限まで引き上げる結果となりましたが、同時に「バーチャファイター2」のような、当時の家庭用機の常識を超えた驚異的な移植を実現する原動力となりました。技術的制約の中で最大限のパフォーマンスを追求した、佐藤氏の執念が最も色濃く反映されたマシンとして、今なお業界で語り継がれています。

早すぎた未来:ドリキャスの夢

1998年に投入された「ドリームキャスト」では、佐藤氏の先見性が遺憾なく発揮されました。

佐藤氏は開発のキーワードに「遊びとコミュニケーション」を掲げました。家庭用ゲーム機として初めてアナログモデムを標準搭載した判断は、まだナローバンドが主流だった時代において、オンライン通信をゲームの前提に置くという、リスクを恐れぬセガの企業文化そのものでした。

液晶画面付きメモリーカード「ビジュアルメモリ」は、現在のセカンドスクリーンやモバイル連携の先駆けであり、「ファンタシースターオンライン」はコンソールにおけるMMORPGの金字塔となりました。商業的には苦戦したものの、佐藤氏が描いた「世界中のプレイヤーが繋がる」というビジョンは、現代のネットワークサービスの基盤を数年も先取りしていたのです。

ハード撤退という苦渋の決断

2001年、セガ中興の祖である大川功氏の逝去に伴い、佐藤氏は代表取締役社長に就任しました。しかし、彼に託されたのは、自らが心血を注いで育ててきたハードウェア事業に終止符を打つという、技術者としてはあまりに過酷な任務でした。

「セガハードの父」自らが、ハード事業からの撤退を指揮する――。しかし、佐藤氏は経営者としての冷徹なまでのリアリズムを優先しました。プラットフォームホルダーとしての看板を降ろし、任天堂やソニーといったかつてのライバルにソフトを供給する「コンテンツプロバイダー」への転換を断行したのです。

当時、この決断はファンに大きな衝撃を与えましたが、この構造改革があったからこそ、現在の「龍が如く」や「ペルソナ」、「ソニック」シリーズの世界的成功があるのは間違いありません。2003年に社長を退いた後も、サミーとの経営統合を見届け、2008年に退社するまで、氏は激動の時代の「アンカー」としての役割を全うしました。

現代に受け継がれるセガハードの魂

佐藤氏の訃報に際し、セガは「そのリーダーシップはセガの基礎を築き、その貢献はゲーム業界全体に多大かつ永続的な影響を与えた」と声明を発表。また、作曲家の古代祐三氏は「氏が設計されたコンソールなしには、何一つ実現できなかった。氏が生み出してくださったすべてに、深く感謝しています」と、X(旧Twitter)で哀悼の意を捧げました。

開発者にとって佐藤氏のハードは、時に扱いづらく、しかしそれ以上に「挑戦しがいのある夢の器」でした。

佐藤秀樹氏が遺したものは、過去のハードウェアという「モノ」だけではありません。技術への執念、未来を予見する先見性、そして会社を守り抜くための不退転の決断。現在のセガが、枠を超えて世界中のプラットフォームで輝き続けていることこそが、佐藤氏の最大の功績です。

業界全体がその偉大な足跡に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。

情報元:Beep2021公式X(旧Twitter)セガ公式アカウント

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