
「LOLLIPOP CHAINSAW」新作発表の裏で巻き起こるDEI(Diversity, Equity, Inclusion)論争。開発元の「DEIに配慮しない」声明がなぜ海外で炎上したのか?原作者の不在、リマスター版の低評価も踏まえ、この論争の真意と、作品の批評性が問われる背景を深掘りします。
2025年7月24日、人気ゾンビアクション「LOLLIPOP CHAINSAW」の完全新作とアニメ化が発表されました。本来ならファンが歓喜するだけのニュースのはずが、ある声明によって、海外コミュニティを中心に大きな論争に発展しています。
原作の魅力は「批評性」にあり
2012年に発売された「LOLLIPOP CHAINSAW」は、ゲームクリエイターの須田剛一氏(Suda51)が率いるグラスホッパー・マニファクチュアが開発し、現DCスタジオCEOのジェームズ・ガン監督がシナリオを手掛けた、異色のゾンビアクションゲームです。
主人公のジュリエット・スターリングは、チアリーダーの見た目とは裏腹に、凄腕のゾンビハンター。ゾンビに噛まれた恋人ニックの首だけを腰にぶら下げて共に戦うという、奇抜な設定も本作の大きな特徴です。露出の多い衣装や過激な暴力、B級映画さながらの演出から、一見すると扇情的なだけのゲームと思われがちですが、本当の魅力はその裏にある自己言及的な視点と皮肉(アイロニー)の精神にありました。
このゲームの生みの親である須田氏とガン監督は、あえてチープなB級映画のような雰囲気で作品を作りました。しかし、その中身は「助けを待つだけのか弱いヒロイン」というお決まりのパターンを打ち破る、まったく新しいものだったのです。
主人公のジュリエットは、派手な見た目とは裏腹に、自分の力で道を切り開いていく、とても力強い女性として描かれています。彼女はただ可愛いだけの「見られる存在」ではなく、自ら状況を判断し、物語をぐいぐいと前に進めていくパワフルな主人公です。
この「B級映画風の見た目」と「自立した新しいヒロイン像」というギャップこそが、『LOLLIPOP CHAINSAW』が単なる刺激の強いゲームで終わらなかった理由です。「女性とはこうあるべき」「ヒーローはこうでなきゃ」といった古い考え方に疑問を投げかける、深みのある作品として評価されているのです。
問題の声明と海外の反応
今回の論争の引き金となったのは、新作発表の公式サイトに記載された次の一文でした。

As with the original, the new title aims to recreate a world rich in dark humor. The development process will prioritize staying true to the distinctive tone and spirit of the original work, without imposing excessive creative restrictions in the name of DEI (Diversity, Equity, and Inclusion).
(開発プロセスでは、DEIの名の下に過度な創造的制限を課すことなく、原作の独特のトーンと精神に忠実であり続けることを優先します。)
触れなければ波風の立たなかったはずのDEIというテーマに、開発元が自ら言及したことで、この発表は海外コミュニティから大きな批判を浴びることになります。
海外ゲームメディア「The Gamer」は以下のように厳しく批判しました。
This is a massive red flag… It suggests Dragami either misunderstands what made the original special or is deliberately ignoring its satirical edge to pander to a specific audience.
(これは極めて危険なサインだ…ドラガミが原作の特別な魅力を誤解しているか、特定のファン層に迎合するためにその批評性を無視していることを示唆している。)
同誌は、開発元のドラガミゲームスが「原作の本当の魅力を理解していない」か、あるいは「一部のファンに気に入られようとして、作品が持っていた皮肉めいた面白さをわざと無視している」のではないか、と指摘しました。
つまり、「過激な表現さえ守れればいいんだろう」という浅い考えの表れであり、原作の文化的な価値を見過ごしている、というわけです。
さらに、「そんな余計なことを宣言すれば、かえって本来のファンをがっかりさせるだけだ」と警告。原作が多くの人に愛された本当の理由は、単なる過激さではなく、「か弱いヒロイン」という古いイメージを覆した、その痛快な視点にあったのだと強調しています。
DEIとは? ゲーム業界での役割
DEI(Diversity, Equity, Inclusion:多様性、公平性、包括性)は、異なる背景を持つ人々が尊重され、平等に参加できる環境を目指す考え方です。ゲーム業界では、キャラクターの性別や人種、文化的背景の多様性を反映したり、ストーリーに多角的な視点を導入することで、より豊かな作品を生み出す指針として採用されています。たとえば、「Spider-Man: Miles Morales」では主人公の文化的背景が物語に深みを加え、高評価を得ました。しかし、DEIが「表現の自由」を制限すると感じる一部のファンや開発者との間で議論が続いています。
DEIの過度な適用が表現の自由を阻害するという懸念がある一方で、その本来の目的である多様な視点の取り込みは、作品の質の向上に繋がるという側面もあります。
声明と食い違う、原作者たちのスタンス
この論争を読み解く上で重要なのが、原作を手掛けたクリエイターたちの思想です。今回の声明とは裏腹に、彼らはむしろ進歩的な作風で知られています。
脚本を担当したジェームズ・ガン監督は、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズや最新作「スーパーマン」でも知られるように、多様な背景を持つキャラクターや社会的なテーマを作品に積極的に描いてきました。ディレクターの須田剛一氏もまた、「ノーモア★ヒーローズ」シリーズなどで、一見過激な作風の裏に社会や文化への鋭い批評性を込めるクリエイターとして知られています。
海外メディアも指摘するように、そもそもこの二人はDEIを安易に否定するような作家ではありません。むしろ、ステレオタイプな設定を巧みに逆手にとり、従来のヒーロー像やジェンダー観を覆すことこそが、原作「LOLLIPOP CHAINSAW」の批評的な面白さだったと評価されています。
ファンの不安を煽る、リマスター版の評価と原作者の不在
この議論にさらに火を注いでいるのが、2024年に発売されたリマスター版「LOLLIPOP CHAINSAW RePOP」への厳しい評価です。海外メディアKotakuは「A broken, buggy mess」(壊れたバグだらけの作品)と酷評し、バグや音声トラブル、ライセンス楽曲の削除、ロード時間の悪化など、技術的な問題が山積みでした。
さらに大きな課題が、原作の成功を支えた須田剛一氏とジェームズ・ガン氏の不在です。ドラガミゲームスは2022年の時点で両名が関与しないことを認めており、今回の新作・アニメ化プロジェクトでも、その参加は発表されていません。「原作の精神を継承する」と宣言しながら、その精神の生みの親である彼らがいない。この状況は大きな矛盾をはらんでいます。
なぜ炎上? 国内外の「温度差」が示すもの
一方、日本ではこの件がほとんど話題になっていません。この反応の違いは、「DEI」という考え方がどれだけ知られているかの差が原因です。欧米のエンタメ業界では、DEIはごく当たり前のものさしになっており、今回の声明は「時代遅れだ」と受け止められました。それに対して、日本では「ゲームなんだから表現は自由でしょ」と考える人が多いため、大きな騒ぎになっていないのでしょう。
シリーズの今後に交錯する期待と不安
そもそも原作『LOLLIPOP CHAINSAW』の魅力は、見た目はB級映画のようにおバカで過激なのに、その中身には鋭いメッセージが隠されているという、絶妙なバランスにありました。
だからこそファンは、新作がただ見た目や過激さだけを真似したうすっぺらい作品になるのではなく、原作の「魂」ともいえる部分まで、ちゃんと受け継いでくれることを心から願っているのです。
つまり、今回の騒動は、単純な「表現の自由か、それとも規制か」という対立の話ではありません。
「開発チームは、原作がなぜ名作と呼ばれたのか、その本当の価値を理解しているのか?」――。今回の新作・アニメ化プロジェクトは、まさにその点を問う試金石となるでしょう。